十字架のかげに いずみわきて
いかなる罪も きよめつくす
おらせたまえ この身を主よ
十字架のかげに とこしえまで
十字架のかげに ゆきしときに
み神の愛を さとりえたり
おらせたまえ この身を主よ
十字架のかげに とこしえまで
十字架のかげを 求めつづけん
けわしきさかを のぼるときも
おらせたまえ この身を主よ
十字架のかげに とこしえまで
十字架のかげを いかではなれん
みくにのかどに いる日までは
おらせたまえ この身を主よ
十字架のかげに とこしえまで
「十字架のかげに」聖歌 396番
"Jesus,keep me near the cross"
Fanny J.Crossby,1820-1915
W.Howard Doane,1868
Arranged by KS 04/09/08
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そして、ゴルゴタ、すなわち、されこうべの場、というところにきたとき、彼らはにがみをまぜたぶどう酒を
飲ませようとしたが、イエスはそれをなめただけで、飲もうとされなかった。
マタイによる福音書 27章33節-34節

4年前と3年前にとても苦しい出来事が続きました。それらは全く関係のない別々の事でしたが、本質はひとつでした。
祈ってその時を過ごしている頃、十字架の意味がこれまで以上に深く心に迫ってきて、自分の罪の深さを示され、
赦しを請わないではいられませんでした。その後問題が祝福の形で解決し、こんな者であるのに…と申し訳なさと感謝で
いっぱいになりました。以前からずっと大好きで大切な賛美でしたが、その事があってから、
もっと大切な、一節一節が心に沁みてくる賛美になりました。
私の信仰の原点はもう40年以上前に通っていたミッションスクール(広島女学院高校)にあります。毎朝の礼拝とともに、
放課後の、先生方や司書の先生との愛あるお交わりがありました。
司書の先生も素晴らしいクリスチャンで、いつまでも図書館に残っている私に(これには訳がありました)いつも声をかけ、
話し相手になってくださったり、本を紹介してくださったりしました。結婚され、今から思うとお仕事もご家庭もあって
とてもお忙しかったのに、時にはお宅にも呼んでくださって、温かなご家族の中で食事をご馳走してくださったり、
誕生日には、今のような豪華なものではありませんが、とても心のこもったケーキを焼いて頂いたりもしました。
今も昨日の事のように思い出されます。その頃には気づかず過ぎてきましたが、今になって振り返ってみて
本当に恵まれた高校生活でした。
イエスさまが九十九匹の羊をおいてでも、迷子になった一匹の羊を探されるという喩えを思います。
何も知らなかった私を神様の世界に入れてくださり、ここまで導いて来てくださった、感謝しても
感謝しきれない神様の愛、十字架に現された深い愛に、少しでもお応えするように生きていきたいと願っています。
H.N.
Sent: Sunday, September 05, 2004 4:13 PM
「十字架のかげに」聖歌396番