そのような港町ある私の教会は昨年創立50周年を迎え、そのとき「灯台ははるか」
を80人ほどの列席者で合唱しました。昔、今のような灯台がない頃は、月や星のな
い夜や時化になると、海に出ている夫や息子の目印と励ましのために、海辺にある漁
師の家は雨戸を開け、沢山の灯火を焚いたそうです。私共の教会も、そのような働き
をしたいと願っています。
磯崎灯台というのは高台にあるので、堤防や小島にあるものと違って、灯台そのもの
の高さが低く、添付の写真のように、それだけでは寸詰まりで絵になりません。
やはり、光が出ていないと灯台らしくないので、また、夕方出かけて写してきまし
た。沖を照らす「光芒」はうまく撮れませんでしたが(私のデジカメと腕では不可
能)、雰囲気はお伝えできると思い、お送りします。
こちらは、太平洋に面しているので、貴兄が眼にしておられる大阪湾の海とは異なっ
ていると思います。
また、教会のある那珂湊の町の写真(3枚の継ぎ合わせです)をお送りします。那珂
川の河口を港の入り口としており、神戸港や大阪港のような大きな港湾とは違ってい
ます。写真の左手が港口で、航路を示す小さな灯台が突堤の上に建っています。航路
を外すと座礁し、ほかの船に積荷の魚を移し軽くして満潮を待つようなこともあり、
漁業組合に勤めていた父が急いで出かけたことなど、強い幼児体験として記憶しています。
このようなことを心に覚えて「灯台ははるか」を聞くと、その歌詞の一言葉一言葉が
現実感をもって胸に響いてきます。
このようなすばらしい讃美歌を聴かせていだだき、お礼と共にお知らせ致します。
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日本原子力研究開発機構
東海研究開発センター
原子力科学研究所 バックエンド技術部
佐 藤 元 昭
Sent: Monday, March 19, 2007 11:30 PM
Subject: 心に覚えて