のぞみも消えゆくまでに
世の嵐に悩むとき
かぞえてみよ 主の恵み
ながこころは安きをえん
かぞえよ主の恵み
かぞえよ主の恵み
かぞえよ ひとつずつ
かぞえてみよ主の恵み
主のたまいし十字架を
担いきれずしずむとき
かぞえてみよ 主の恵み
つぶやきなどいかであらん
かぞえよ主の恵み
かぞえよ主の恵み
かぞえよ ひとつずつ
かぞえてみよ主の恵み
世の楽しみ 富 知識
ながこころを誘うとき
かぞえてみよ 主の恵み
あまつくにの幸によわん
かぞえよ主の恵み
かぞえよ主の恵み
かぞえよ ひとつずつ
かぞえてみよ主の恵み
「のぞみも消えゆくまでに」
聖歌604番 (新聖歌172番)
"When upon life's billow"
Lyrics J. Oatman Jr. 1897
Music E.O.Exell 1897
Arranged by KS 08/02/10
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わがたましいよ。主をほめたたえよ。
主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。
主は、あなたのすべての病をいやし、
あなたのいのちを穴から贖い、
あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、
あなたの一生を良いもので満たされる。
あなたの若さは、鷲のように、新しくなる。
詩篇 103篇 2-5節

画像はアブラハムとイサクの創世記22章12節の場面です。
「あなたの手を、その子に下してはならない。その子になにもしてはならない。
今、わたしは、あなたが神を恐れることがよくわかった。あなたは自分の子、
自分のひとり子さえ惜しまないでわたしにささげた。」
アブラハムが目を上げて見ると、見よ、角をやぶにひっかけている一頭の雄羊がいた。
創世記 22章12-13節
アブラハムに何があったのか、以下創世記の話を簡単にご紹介させて頂きます。
ある日神様がアブラハムに現れ次のように告げられました。
神は仰せられた。「あなたの子、あなたの愛しているひとり子イサクを連れて、
モリヤの地に行きなさい。そしてわたしがあなたに示す一つの山の上で、
全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい。」22章2節
聖書には事実だけが淡々と書かれていますので、アブラハムがこの神様の御言葉を聞いた時、
どうように思ったのかは記されていません。恐らく相当なショックだったに違いありません。
アブラハムはあまりのショックのため言葉もなかったのではないかと思います。
アブラハムは翌朝早く、ろばに鞍を付け、全焼のいけにえのためのたきぎを割り、
神様から告げられた場所へイサクを連れてでかけて行ったと書かれています。
イサクはアブラハムが100歳を超え諦めていた時に与えられた一人子でした。
神様が行きなさいと告げられた場所はモリヤという地でした。
神様はそこの山の上で、イサクを捧げなさいと告げられたのです。
さて、神様から告げられた場所に着いたアブラハムは、そこに祭壇を築きました、そして
その上に薪を並べ、自分の最愛の子、イサクを縛り薪の上に置きました。
そうしてイサクに向かって刀を振り上げて下ろそうとした時、
天から主の使いが呼びかけて、アブラハムを止めたことが記されています。22章12節
神様が行きなさいと告げられたモリヤの地は、後にエルサレムが建てられた地に当ります。
エルサレムは渓谷に囲まれた丘の上にあります。
ハーレーの「聖書ハンドブック」(聖書図書刊行会)には、次のようにあります。
「真東の丘はモリヤと呼ばれ、イサクがささげられた所と伝えられ、1000年後には
ソロモンの神殿が建てられた。(中略)また北東丘では、さらに1000年後、
イエスが 十字架にかけられた」
聖書にはいろいろと難しいことが書いてあると思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、
聖書の大切なメッセージは、ただ一つです。そしてそれはどなたにでもわかります。
すべての人が創造主である神様から遠く離れてしまった状態にあります。
そして人はすべて罪人(つみびと)です。自分には罪がない、いつでも神様の御前に立つことが
できるという方はいらっしゃらないと思います。
そして罪を持ったままでは、聖い神様と親しく交わることができません。
その結果、この世は暗く、さまざまな苦しみや悩みに覆われています。
人の世には罪が溢れ、悲しみや怒り、将来への不安に満ちています。
すべての人が神様から遠く離れてしまい、罪の中にある結果です。
創造主である神様は人を愛されています、苦しみ悩む人がそのことに気付いて
神様のもとに帰り、神様のご愛の中で生きることができるように、神様との親しい交わりの中に
入ることができるように、願っておられます。そのために、神様は一人子であるイエス様を
十字架につけて裁くという方法で、神様と人とを隔てていた罪の問題を解決して下さいました。
神様はすべての人を愛されています、これを読んでおられます方も決して誰一人例外ではありません。
神様のご愛を受けるために条件などはありません。管理人も最初は間違ってそう思っていました。
でも神様はどのような人も、全く差別はされません。(ただ一つだけ、神様は思い高ぶる人は退けられます)
聖書でご自身を啓示されました神様は今も生きておられます。
どなたにでもそれを知り、神様の素晴しい恵みを体験することができます。
神様のもとに安心して帰ることができます。
ご自分の一人子をこの世に遣わされ、すべての人の罪を一人子であるイエス様が
十字架にかかり、血潮を流された故に、すでに赦してくださっているからです。
もし神様からのそのメッセージを受け取り、それを信じるならば、心から悔い改めて、
イエス様を心にお迎えするならば、その時、あなたは救われるのだと聖書は述べています。
その時、あなたに素晴しいことが起こります。
生きておられる神様が、あなたのすべてを新しくしてくださるからです。
これは宗教ではありません。すべて現実世界で実際にどなたでも体験することができます。
アブラハムに起きた出来事は、イエス様がこの世に来られ十字架にかけられ、血潮を
流された時に、まず聖書を知るユダヤの人々が、それを見、神様のご愛を、その深い恵みを
そしてその意味を悟ることができるように、神様が最初から計画されていたのです。
エジプトから脱出した後、与えられた旧約聖書の厳格な律法もその時のためのものでした。
創造主である神様はなんと不思議な、そしてなんと愛と恵みに満ちたもう御方なのでしょうか。
創世記に記されていますアブラハムの話は彼が信仰深く神様に従ったから、イサクは助かったのだ、
単にそういう話ではありません。旧約聖書の創世記が書かれた年代はBC1000年頃と大凡判っています。
聖書を信ずるとは、何か宗教を信じるということではありません。救われるために、
キリストの教えに従い頑張って生きるそのようなことでもありません。そんな必要は全くありません。
どのような状況の人でも、神様の完全な救いを今、受け取ることができるのです。
神様はすべての人が神様と親しく交わり、そして神様のご愛の中で、幸いを得ることができるように、
ご自身が大きな犠牲を払い人となってこの世に来てくださったのです。
信じ難いことですが、これは歴史的な事実です。
賛美歌を聴いてくださっている方の中に、さまざまな問題や試練の中で、苦しみ、悩みつつ
過されている方もいらっしゃるかもしれません。
神様はあなたのことを愛されています。そしてその状態から救いたいと願っておられます。
神様は今も生きておられます。そのような方はどうぞ、次のように祈ってみて下さい。
聖霊様があなたの内に入ってくださり、神様が生きておられることを知らせてくださいます。
あなたがどのような問題の中におられましても、大丈夫です。必ず助けてくださいます。
そしてこの聖歌の御言葉にありますように、これからのあなたの一生を良いもので満たしてくださいます。
数えることができないほどの恵みで、あなたを祝福してくださいます。
神様への祈り 次のように祈って下さい。
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イエス様、あなたが十字架にかかり、流された血潮は、私の罪のためであったことを
今、心に受け入れ信じます。これまでの私のさまざまな罪を赦してくださりただ感謝します。
どうぞこれからはいつも私とともにいてくださり、私のすべてのことを御心のままに導いてください。
これまでは自分のためにあれこれと苦労して生きて来ましたが、これからはあなたが私の内に
あって生きてくださることを信じ、すべてのことをあなたに委ねます。
今日、私が救われましたことを感謝します。イエス様の御名(みな)によりお祈りします。アーメン
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心から神様を信じ、お祈りをされた方、あなたは今、救われました。
そのような方は、管理人までメールでお知らせ下されば感謝です。
メールアドレス Kei-SH@sky.sannet.ne.jp
これからはあなたが生きるのではありません。神様があなたの内におられ生きてくださいます。
感謝致します。02/10 夕方