冬の夜の雪に さきそめたる
麗しの薔薇は 救いの君
み使いまきびと 喜び満ち
みあれをことほぎ 星きらめく
来りておがめ たたえまつれや
救いの聖子(みこ) 主イエスきみ
救いの聖子 主を 世にたまいし
恵みと喜び 何にたとえん
力の限りに ほめうたいて
とうとき聖子 主をむかえまつらん
来りておがめ たたえまつれや
救いの聖子(みこ) 主イエスきみ
「冬の夜の雪にさきそめたる」
(みどりごイエス)
"Gesu´Bambino"
Lyrics F.H.Martens
Music Pietro A.Yon 1886-1929
木岡英三郎 訳詞
Arranged by KS 05/12/24
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御使いは言った、「恐れるな。見よ、すべての民に
与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。
きょうダビデの町に、あなたがたのために
救主がお生まれになった。
この方こそ主なるキリストである」。
ルカによる福音書 2章 10節-11節
父はクリスチャンでしたが、自分の信仰を守ることが第一で、家族に神の話をするようなことはありませんでした。
私はキリスト教教育の幼稚園に2年、小学校は1年から6年まで父の行っていた教会の日曜学校に通い、
そして、中高一貫のミッションスクールに進み、それと同時に日曜学校へは行かなくなりましたが、
神様の存在は当たり前のこととして受け止めていました。
幼稚園でも、日曜学校でも、ずっと神様の歌を歌ってきました。
ミッションスクールでは、毎朝の礼拝で讃美歌を、入学式、卒業式、その他イベントのためには、
「ハレルヤ」「グローリヤ」などの大曲を猛練習、年1回の合唱大会では、中高各12クラスが競い合うというほど、
神様の歌を歌うというのが日常の毎日でした。
薬学だけの単科大学へ進んだ時、生まれて初めて讃美歌の無い生活になりました。
バイブル班という部活の募集の張り紙に「昼休み、讃美歌の練習をしています」という言葉を見つけた時、とても嬉しく、即、入りました。
讃美歌を歌いたかったのです。こんなに長く、神様を身近に感じながら、クリスチャンになる方法がわかりませんでした。
バイブル班の先輩にKGK(キリスト者学生会)の伝道会に誘われ、初めて、「キリストの十字架は私達の罪のため」ということを知りました。
幼稚園、日曜学校では話されなかったとしても、ミッションスクールでも、生徒をキリスト教ムードに誘いはしても、
伝道とか、罪とかには触れなかったのではないかと思います。そして、大学2年の夏に受洗しました。
ここに至ったのは讃美の歌のおかげと言えます。今回、お願いした「冬の夜の雪にさきそめたる」は合唱大会で他のクラスが選んだ曲でしたが、
その練習を聞くたびに、きれいな曲だな〜歌いたいな〜と羨ましく思っていました。
その願いを、この場でかなえてくださり感謝でいっぱいです。
(せいの)
Sent: Wednesday, December 14, 2005 1:05 PM