繁栄を誇っていた当時の世界最大の王国の壮麗な宮殿の中で、みすぼらしい一人の羊飼いの老人が、
埃に汚れた裸足の足をひきずりながら、神に等しいとされた絶対者パロに近寄り頭に手を置いて
祝福したのです。そのようなことは、天地がひっくり返ってもありえないことですが、
この時、ヤコブは神様の不思議な計らいにより、この世の最高権力者のさらに上位に揚げられたのです。
なんと不思議な出来事なのでしょうか。
晩年のヤコブはいつも自分の身から出た罪、失敗と挫折の生涯を振返り、自分の身にふりかかってくる不幸に
ただ恐れ慄きつつ過していたのです。(42:36)。自分はきっと神様から見放されたのだ、人生の失敗者であると
嘆いていたのかもしれません。しかしある日、死んでしまったはずのヨセフがエジプトで支配者になって生きている
という信じ難い知らせを受けました。ヤコブの晩年についに、神様の祝福の流れが堰を切って溢れる川のように
押し寄せて来ました。そして様相は一変しました。
若い頃、ヤコブは父イサクを騙して兄エソウが受けるべき祝福を奪ったために、兄の怒りから逃れるため、
母の兄のところ、ハランへと旅立ちましたが、途中で日が暮れてしまいただ独り寂しい荒野に残されました。
そこで石の枕をとり一夜を明かしますが、その時、主が現れ次のように告げられました。
見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。
わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。創世記 28章15節
神様はずっとヤコブと共におられたのです。何という恵みでしょうか。たとえヤコブがそれに気が付かなくても、
また忘れてしまっていても、神様はヤコブを愛し見守っておられました。
神様はご自身の約束を決して破棄したりはなさいません。
私たちもたとえ今、どのような状況にありましても、またどのような辛い試練の中にありましても、大丈夫です。
ヤコブを祝福された同じ主が、今も信ずる私たちと共にいてくださり、日々確かに私たちを導いていてくださっている
ことを決して忘れないようにできましたらと思います。3/9 夜記
神よ。私たちはこの耳で、
先祖たちが語ってくれたことを聞きました。
あなたが昔、彼らの時代になさったみわざを。
あなたは御手をもって、国々を追い払い、
そこに彼らを植え、
国民にわざわいを与え、
そこに彼らを送り込まれました。
彼らは自分の剣によって地を得たのでもなく、
自分の腕が彼らを救ったのでもありません。
ただあなたの右の手、あなたの腕、
あなたの御顔の光が、そうしたのです。
あなたが彼らを愛されたからです。
詩篇44編1-3節
「今さりゆくなれを」聖歌 348番(コーラス シンプル編)
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