わたしの仕えまつる神は
わたしと共に歩いてます
わたしは彼の御声を聞き
彼の御顔を見てます
キリストイエスはいつも
わたしに囁き わたしに聞き
この世の雨に風に
助けてくださる生ける主です
わたしを人がののしる時
世の中の目が冷たい時
時を移さず呼びかければ
主は来られます 直ちに
キリストイエスはいつも
わたしに囁き わたしに聞き
この世の雨に風に
助けてくださる生ける主です
求める者の望みとなり
たずねる者の助けとなる
この御方より力強い
神はいませぬ どこにも
キリストイエスはいつも
私に囁き わたしに聞き
この世の雨に風に
助けてくださる生ける主です
「わたしの仕えまつる神は」
(聖歌集153番)
"He Lives"
A.H.Ackley 1933 中田羽後訳
Arranged by KS 09/03/20
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ヨセフは兄弟たちに言った。「どうか私に近寄ってください。」
彼らが近寄ると、ヨセフは言った。「私はあなたがたがエジプトに売った弟のヨセフです。
今、私をここに売ったことで心を痛めたり、怒ったりしてはなりません。
神はいのちを救うために、あなたがたより先に、私を遣わしてくださったのです。
この二年の間、国中に飢饉があったが、まだあと五年は耕すことも刈り入れることもないでしょう。
それで神は私をあなたがたより先にお遣わしになりました。それは、あなたがたのために
残りの者をこの地に残し、また、大いなる救いによってあなたがたを生きながらえさせるためだったのです。」
創世記 45章4-7節
かつて兄達のねたみと憎しみの結果、奴隷としてエジプトへ売られてしまった弟のヨセフ、その日から20年の歳月が過ぎていました。
もう死んでしまったはずのその弟のヨセフが、飢饉のためカナンから穀物を求めてエジプトへ下ってきた兄たちの前に、国家の最高権力者となって現れました。
上の画像はヨセフが自分のことに気が付かない兄たちに身の上を明かす旧約聖書中最も感動的な場面の一つですが、
それはまたイエス様の御前に出て罪を告白し、ただただ主の憐れみにすがるほかないわたしたち罪深い者の姿としても見ることができます。
ヨセフは兄達の非情な行為によって、遠い異教の国、エジプトで13年もの間、奴隷として過し、そして無実の罪で投獄され、恥ずべき犯罪者として
鎖に繋がれ暗い地下牢で過酷な数年間を過しました。
その間、聖書に記されていますヨセフの言葉には、兄たちに対してもまた常に誠実を尽くしたにもかかわらず受けた他の人たちのひどい仕打ちに
対しても、それを恨んだりまた責めるような言葉は決して見られません。それどころか上記聖書に記録されたヨセフの言葉からは、ヨセフは兄たちを決して責めず、
ただ深く深く愛していたのです。それまでの自分の不幸やさまざまな苦しみの出来事がすべて、ただ神様の摂理の中で起きたこととして信じ受け入れていたからです。
飢饉で食べられず、長い旅で疲れ果てた兄たちの哀れな姿を人々の中に見つけた時、ヨセフは驚きました、そしてなんとかして、兄たちとの家族関係を回復したいと
願いました。しかし兄たちが過去の罪を自ら認め告白しないかぎり、ヨセフは自分が誰であるかを決して告げることはできませんでした。
それをしてしまったら、真実の愛と赦しが現れる機会は永遠に失われてしまいます、罪が赦される喜びも信じ生かされる真実の愛の関係も実現させることは
できなくなってしまうからです。
ヨセフは、兄たちに過去の罪を思い出させるために、間者(スパイ)の嫌疑をかけ、厳しい言葉で脅し、縛り上げ投獄しました。そして兄たちの様子を覗いました。
言葉が解らないと思っている兄達の会話に密かに耳を傾け、兄達の心の中を知ろうとしました。
最初の訪問の際にシメオンを人質にとり、父ヤコブが溺愛していた末っ子のベニヤミンも連れてくるように言いました。
そしてそのベニヤミンの穀物袋の中に、あたかも盗んだかのように銀の杯を密かに入れておき、無事に買い付けを済ませ喜んで帰る兄弟たちを追いかけて
連れ戻したのです。ヨセフはあらゆる方法を使って兄たちの心を探りつつ、兄たちが自ら過去の罪を認め悔い改めることができるような状況に導いて行きました。
エジプトには、ヨセフの知恵によって尽きることの無い穀物が蓄えられていました。食料がなくなるたびに、遠い道のりを危険を冒して
買いに来る必要はありません。イスラエルの家族全員がヨセフのもとに来れば尽きることの無い恵みの中でみんなが生き長らえることができるからです。
代価の銀を支払えば、必要な穀物を受け取りしばらくは生きることができるかもしれません、しかしそれらはやがて尽きてしまいます。
ヨセフの穀物倉には7年間の豊作の際に蓄えられた穀物が、量りきれないほどに蓄えられ、「ついに量ることをやめた」(創世記41::49)ほどあったのです。
今、イエス様はヨセフのように、これを読んでおられますみなさんお一人おひとりの前に立っておられます、そしてご自身を現したいと切実に願っておられます。
神様はわたしたちを愛し、ひとり子であるイエス様を遣わし、わたしたちと聖い神様を隔てているものを、神様の御前で真実安らぐことを妨げているものを、
わたしたちの罪を、赦し贖うためイエス様を身代わりとして裁かれました。イエス様はわたしたちの代わりに苦しまれ血潮を流され裁きを受けてくださいました。
十字架はイエス様の真っ赤な血潮で染まりました。そのイエス様の贖いのわざをただ信じ心に受け入れ、その十字架のもとに行く者は、それが誰であっても、
またどのような状況にありましても、神様はその人の罪を裁かず赦してくださり、そして永遠の救いを与えてくださると聖書は述べています。
アブラハムやヨセフの物語もダビデの物語もまた聖書に記された出来事、物語のすべてが、その一点に、イエス様の贖いのわざによる永遠の救いを伝えています。
末の弟ベニヤミンの穀物袋の中から銀の杯が見つかり、ヨセフの前に連れ戻された兄弟たちは、そのことについては自分達が潔白であることを確信していました。
しかしまだ隠しつづけている過去の最も深い罪による罪責感が心に溢れていたのです、そして兄弟の一人ユダがついにヨセフに言いました。
「私たちはあなたさまに何を申せましょう。何の申し開きができましょう。またなんと言って弁解することができましょう。
神がしもべどもの咎をあばかれたのです。・・・」44:16〜
ヨセフを奴隷として売るという提案はユダによって成されました。そのユダが今、罪を告白し、弟ベニヤミンを庇い、父を気遣う言葉まで述べました。
ユダや兄達は昔とはすっかり変わっていたのです。それを聞いていたヨセフは感情を制することができなくなり、声を上げて泣き出しました。
ユダの告白によって、それまで妨げていたものが一瞬のうちに消え去りました、そして画像のように真実打ち解けた兄弟となることができました。
神様はわたしたちに代価を支払いうけるだけのよそよそしい関係ではなく、神の愛の中で罪が赦された平安と喜びの中で、いつも神様に信頼し、
この聖歌の歌詞にありますように、「時を移さず呼びかければ 主は来られます 直ちに」と感謝と喜びを持って賛美を捧げることができるように、
主は確かに今も生きておられ、わたしたちの祈りを聞いてくださり、尽きることの無い恵みと祝福の中で過すことができるように、すべての人が創造主である
神様とのそのような素晴しい関係の中で希望を持って生きることができるようにしてくださいます。そのことに気がつかれますように願っておられます。
どうぞ今、イエス様の前に何も持たずに出られ、ただ憐れんでくださいと祈ってみてください。
あなたの過去のこと、現在のこと、心の悲しみや悩み、苦しみなど、すべてを隠さずただイエス様に打ち明けてみてください。
その時、イエス様は涙を流しながら「どうか私に近寄ってください。」と言ってあなたの手を取り、そしてあなたを優しく抱き寄せてくださいます。
そしてイエス様はあなたにご自身を現し、あなたのために蓄えられた決して尽きることの無い天からの恵みと祝福を持って、あなたもあなたの家族も養い
永遠の救いの中に入れてくださいます。聖書(歴史)でご自身を啓示されました主は今も確かに生きておられます。
どうぞ皆様がそのことを体験されますように、そしてこの幸いな救いを受け取られますことをお祈り致します。03/20 夕方記
聖歌集153番(聖歌総合版542番)"He Lives"