わずらわしき世を しばしのがれ
たそがれ静かに ひとり祈らん
神よりほかには きくものなき
木陰にひれふし 罪になげく
うけしみめぐみを おもいつづけ
いよよ行くすえの さちを願わん
憂いも悩みも 父の神に
ゆだねまつるこそ よろこびなれ
身にしみわたる この夕べの
たえなる景色を いかで忘れん
わが世の日かげの 消ゆるときも
みちかいのもと かくてありなん
「わずらわしき世を」讃美歌 319番
"I love to steal awhile away"
Lyrics Phoebe Hinsdale Brown 1818
Music Alonzo Judson Abbey 1858
Arranged by KS 05/05/22
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主の恵みふかきことを味わい知れ、主に寄り頼む人はさいわいである。
詩篇 第34篇 8節
以下「神は愛なり 讃美歌物語3」 梅染信夫著 新教出版社 ISBN4-400-81989-2 より
この讃美歌の作者フィービ・ヒンズデル・ブラウンは幼い時に父母を失って、つぶさに辛酸を なめたのですが、会衆派の教会で信仰が与えられ、23才の時ペンキ屋のブラウンと結婚し、各地を転々 としますが、何処へ行っても実に敬虔であり、模範的な信仰者だったそうです。 この讃美歌を作った時、彼女は四人の子供と病気の妹をかかえて静かに祈る場所もなく、 毎夕、隣の大邸宅の裏庭の果樹園の片隅で祈るのを常としていました。ところがある日、 隣の家の夫人に見つかって咎められ、ひどく侮辱されたのです。ブラウン夫人は返す言葉もなく 黙って家に帰り、その夜、家の人がみな寝静まってから、涙とともにこの詩をしたため 隣の家にそっと届けたと伝えられています。
ブラウン夫人の息子、サミュエル・ロビンズ・ブラウンは改革派宣教師として、キリシタン禁令下、1859年に来日、 ブラウン塾を開設し、英学と神学を教え、井深梶之助(後の明治学院長)、本田庸一(後の青山学院長) など「横浜バンド」の青年たち、すなわち、その後の日本のキリスト教の指導者となる 人々を育て、また聖書共同和訳の委員ならびに委員長として活躍しました。「讃美歌物語3」P97(要約)