わが行く道 いついかに
なるべきかは つゆ知らねど
主はみこころ なしたまわん
(折り返し)
そなえたもう 主の道を
踏みて行かん ひとすじに
こころたけく たゆまざれ
ひとは変わり 世はうつれど
主はみこころ なしたまわん
※折り返し
あらうみをも うちひらき
すなはらにも マナをふらせ
主はみこころ なしたまわん
※折り返し
「わがゆくみち」
讃美歌494番
"In some way or other"
Lyrics Martha Anne Cook 1870
Music Philip Phillips 1834-1895
Arranged by KS 12/02/24
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主は私の味方、私は恐れない。
人は、私に何ができよう。
主は私を助けてくださる私の味方。
私は私を憎む者をものともしない。
主に身を避けることは、
人に信頼するよりよい。
主に身を避けることは、
君主たちに信頼するよりもよい。
詩篇 118篇6-9節
それから、彼に次のような主のことばがあった。
「ここを去って東へ向かい、ヨルダン川の東にある
ケリテ川のほとりに身を隠せ。
そして、その川の水を飲まなければならない。
わたしは烏に、そこであなたを養うように命じた。」
T列王記 17章2-4節
以下昨年掲示板でグレイニーさんからお知らせ戴きました。
素晴らしい讃美歌とお話、そして御言葉をありがとうございました。
この讃美歌は初めてでしたが、お知らせ戴いてから作りたいと思っていました。
サイトでは今年最初の賛美ファイルとしてお知らせできますこと感謝しています。
とても素晴らしい讃美歌ですね、お知らせくださりありがとうございました。
02/24 記
169.試練の中にあっても…
名前:グレイニ― 日付:9月22日(木) 23時14分
KS様、皆様、こんばんは。久しぶりにこちらのページへお邪魔させて頂きました。
ここ数年、私も試練の連続の中にございますが、
つい最近、私の祖父母と母が二代にわたってお世話になりました別府教会のH牧師先生のご葬儀の
ビデオテープが出て参りまして、16年ぶりに拝見致しました。
16年前(19歳)に拝見した時には何も分からなかった讃美歌の意味や言葉が、今になって
心に響いてくるものが沢山ございました。
私の祖母は、全国の牧師先生が牧会に来られた際にお泊りになる会館の管理人を20年ほど勤めさせて頂き、
その場所が、いわゆる私の「別府のおばあちゃんち」でした。
H牧師は、私達家族が別府に帰省しますと、スーパーカブに乗られて
祖母の家(会館)まで来て下さっていました。
牧師を引退された後には、祖母の家(会館)のひと部屋を改装された部屋にて、ご夫人とお二人で住まわれ、
私の祖父が亡くなる時にもすぐに様々な手配をし、最期の祈りをして下さったそうで、
祖母にとりましてはどんなにか心強かった事であろうと今になって思います。
帰省していた私達が千葉へ帰る日には、いつも私と妹の頭に手を置いて、
私達の為に祈って下さった姿が今でも鮮やかに蘇えってまいります。
ご葬儀の中でH牧師の御子息(牧師先生です)が、
「父は『金銀は私には無い 私にあるものをあげよう
イエスキリストの名によって歩みなさい』という事を後姿を通して教えてくれました」
とおっしゃっておられました。
とても短い言葉ですが、力強い真理の言葉であると感じました。
H牧師の愛歌であった讃美歌494番「わが行くみち」が
心に響いて参りました。
わが行くみち いついかに
なるべきかは つゆ知らねど
主はみこころ なしたまわん
そなえたもう 主のみちを
ふみてゆかん ひとすじに
現在未曾有の試練にさらされ、混迷するこの世の中にあっても、
主の御業が示されますことを信じて、歩んでゆきたいと思います。
長くなり、まとまりのない文章になってしまいお許し下さいませ…。
KS様はじめ、こちらに集われます皆様の幸せをお祈り申し上げます。
「わがゆくみち」讃美歌494番