立ち上がれいざ 主のつわもの
御旗は高く見よ上がれり
あたの息の根 絶やすまでは
先立ち給わん主なるイエスは
立ち上がれ主のつわもの
御旗は高く高く見よ上がれり
きかずやラッパの声ぞ響く
従いまつれ主の招きに
み力を主は さずけませば
むらがるあたも 何かはあらん
立ち上がれ主のつわもの
御旗は高く高く見よ上がれり
立ち上がれ ただ主を頼りて
人には悪に勝つすべなし
危うし あたは隙をうかごう
祈りておびよ 神の武具を
立ち上がれ主のつわもの
御旗は高く高く見よ上がれり
いくさはやがて あとなく消え
勝ち歌高く空に響かん
かむりを受けて あまねく地を
治めよ共に主なるイエスと
立ち上がれ主のつわもの
御旗は高く高く見よ上がれり
「たちあがれいざ」聖歌 302番
"Stand up for Jesus"
George Duffield 1858
"GEIBEL" Adam Geibel 1901
Arranged by KS 05/06/18
すなわち、立って真理の帯を腰にしめ、正義の胸当を胸につけ、平和の福音の備えを足にはき、
その上に、信仰のたてを手に取りなさい。それをもって悪しき者の放つ火の矢を消すことができるであろう。
エペソ人への手紙 6章14節-16節
以下この聖歌について"101 Hymn Stories" NO.86 "Stand up for Jesus" より
1858年、フィラデルフィア全体に及ぶ大きなリバイバルが起きました。後にそれは「フィラデルフィアにおける神の御業」と呼ばれました。
その運動に関わった聖職者の中で、若干29才だったDudley Tyng ほど力強い働きをした者は誰もいませんでした。
彼はいつも大胆に恐れず御言葉を語り、また決して妥協しない説教者として周囲のリーダー達にも多大な影響を与えました。
彼の父親、Stephen H.Tyng は長年フィラデルフィア市のある大きな聖公会派の教会の牧師でしたが、極短い期間、
彼は父親の助手を務めた後、父親の後を継いで教壇に立ちました。しかしながら間もなく何名かの保守的な教会のメンバー達は、
彼らの若い説教者に困惑し動揺し始めました。なぜなら彼は聖書を平明に解き明かし、そして奴隷制度に強く反対したからです。
彼はこの教会を去りました。そして彼に従った人達と"The Church of the Covenant"という新しい組織を作りました。
その組織は急速に成長拡大しましたが、Tyng はそこでの働きに加えて、市街のYMCAで正午の集会を持ち始めました。
そこで彼の力強い説教は大群衆を惹きつけたのです。
1858年 3月30日火曜日のことでした。5000人以上の壮年達が出エジプト記10章11節から「さあ、今行くのは壮年達だ、
行って主に仕えよ」と題するTyng のメッセージを聴くために集まりました。そしてその時、彼のメッセージを聴いた1000人以上の
人達がキリストとその奉仕にすべてを捧げる決心をしたのです。この時の説教はその時代で最も素晴らしい説教の一つとして
しばしば引き合いに出されました。
その時の説教で彼はこのように言いました。「あなたがた主に遣わされる者たちに話しておきたい。わたしはたとえ鉄道の線路で
自分の右腕を切断されるとしても、神からのメッセージをあなたがたになんとかして伝えてもらいたいのです。」
翌週のことでした。郊外の農場の納屋で運転中の脱穀機を見ている時に、彼は誤って袖を歯車に捉えられ、その結果
腕は引き裂かれ、動脈を切断、中枢神経を損傷してしまいました。そしてその4日後、容態が悪化しました。大量の失血と
深刻な傷によるショックの為、1858年4月19日 Dudley Tyng は亡くなりました。集まった悲しみに沈む友人たち、
聖職者たちに向かって、ベッドに横たわった彼は最後に囁くように言いました。「さあ、みなさん、イエスのために立ち上がろう」
次の日曜日Tyng の親しい友人であり、同労者であったフィラデルフィアの長老派教会の牧師、GeorgeDuffield は亡くなった
友人に捧げる礼拝説教を行いました。主題聖句としてエペソ人への手紙6章14節 「すなわち立って真理の帯を腰にしめ、
正義の胸当てを胸につけ」を選びました。そして彼は説教の最後に大切な友人の最期の言葉に感銘し作ったのだと、
6節からなる詩を朗読して、説教を閉じました。Duffield の教会の教会学校長がその詩にたいへん感動し、その詩を印刷し
日曜学校で配りました。一人のバプテスト系の出版社の編集者がたまたまそのパンフレットの一つを手にしました。そして即座に
広く各地に流布させました。それがきっかけでこの詩は賛美歌となり、世界中の信徒たちの心に届けられました。
「たちあがれいざ」聖歌 302番