翌週のことでした。郊外の農場の納屋で運転中の脱穀機を見ている時に、彼は誤って袖を歯車に捉えられ、その結果
腕は引き裂かれ、動脈を切断、中枢神経を損傷してしまいました。そしてその4日後、容態が悪化しました。大量の失血と
深刻な傷によるショックの為、1858年4月19日 Dudley Tyng は亡くなりました。集まった悲しみに沈む友人たち、
聖職者たちに向かって、ベッドに横たわった彼は最後に囁くように言いました。「さあ、みなさん、イエスのために立ち上がろう」
次の日曜日Tyng の親しい友人であり、同労者であったフィラデルフィアの長老派教会の牧師、GeorgeDuffield は亡くなった
友人に捧げる礼拝説教を行いました。主題聖句としてエペソ人への手紙6章14節 「すなわち立って真理の帯を腰にしめ、
正義の胸当てを胸につけ」を選びました。そして彼は説教の最後に大切な友人の最期の言葉に感銘し作ったのだと、
6節からなる詩を朗読して、説教を閉じました。Duffield の教会の教会学校長がその詩にたいへん感動し、その詩を印刷し
日曜学校で配りました。一人のバプテスト系の出版社の編集者がたまたまそのパンフレットの一つを手にしました。そして即座に
広く各地に流布させました。それがきっかけでこの詩は賛美歌となり、世界中の信徒たちの心に届けられました。